5月1日 高円寺書林 茶房
第一部
演奏の前に、自身の生い立ちから自己紹介をはじめる川染。第一部は、この自己紹介の演奏で終わる。
まず、人生で初めて買ったCDがリンドバーグ、二枚目がBZ、高校時代はミスチルに傾倒したという話から、「メッセージソングに励まされた」というルーツを根本に持っている人間であることが語られる。
初めて買ったギター(Birthというメーカーのものだ「こんなメーカー知らんよな!でも、確かに、Birth、、俺の音楽の誕生はここから始まっている」)は、少年ジャンプの後ろにある広告に載っていたものを買った。それを買うために生まれて初めて郵便局でバイト、初めてもらった給料を帰り道に落とす→凹みながら犬の散歩をしてたらその途中で落とした給料を見つける→ギター購入のエピソード。しかし、ギターの弾き方がわからず、教則本の読み方もわからず、地面において演奏するなどしていた。高校三年のとき、進路を決めなければいけないとなって、ESPという音楽専門学校に本当は行きたかったが、ギターがまったく弾けないという負い目から、福祉専門学校に入学する、何はともあれ上京した。アルタ前で弾き語りをしていれば、スカウトがくると思っていた。ある日突然、「ギタースクールに通えばギターが弾けるようになるのでは?」ということに気づき、「すいません、ミスチル弾きたいんですけど」と即座に電話、スコアを先生に見せたところ「一週間で弾けるようにしてあげるよ」といわれ、大興奮。本当に一週間で弾けるようになる(簡単なコード弾き)。
ギターが弾けるようになった高揚に突き動かされるようにして、渋谷クワトロでバイトを始める。すべての音楽人生の始まりに胸をときめかす川染。しかし、このクワトロで働く人たちから、「音楽なに聞いてるの?」という洗礼を受ける。ミスチルやウルフルズしか知らなかった川染に、「ドラムンベースとかトランスとか聞かないの?」といってくる同僚。貸してもらったトランスのCDにはなぜかお香が入っていて、カルチャーショック!そのとき貸してもらったグラインドコア、初めて聴いたときの恐ろしさは今でもトラウマだ。「新しい音楽なにかないかな?」という話で盛り上がることがあった。そこで「手拍子だけの音楽とかどうですかね」「水の音だけの音楽とかあったら面白くないですかね」と提案すると、「もうあるよ」との回答に再び衝撃を受ける。その流れで、サンプラーの存在を知り、サンプル&ループをした瞬間に大興奮。同時期に、ビートルズの「Revolution 9」を聴き、オノヨーコによるトイレの水を流すだけの曲の存在を知るなどして、「こういった表現を人に届けてもいいんだ」と背中を押される。それ以降、前衛、実験的な方向に傾倒して、現在のスタイルにまでつながっている。くし、チョロQ、ポテチ、糸、ブロックのおもちゃの音などをサンプルにとり、ループさせ、初めてサンプラーを体験したときの再演をする。
しかし、メッセージを人に届けたかった。そこで、川染はラップ、ヒップホップという表現に出会い、感銘を受けた。川染は、生まれてから今日に至るまで貧困とともに生きてきた人間だ(たとえば、中学のとき、家で振舞われるご飯は、ご飯に鰹節をかけただけのものだった。反抗期だったので、母親に「俺は猫か!」とたてついていた。そのくらい貧乏だった。給食費も払えなかった。中学では給食がなかったが、まわりが全員お弁当を食べているなかで、自分は一個の菓子パンしか与えられなかった。母親の乗っていた車は10万円だ。家にはヤクザが借金の取立てにくることもあった。そういう家で育った。母親のことはリスペクトしている)。ヒップホップという、貧困から生まれた表現、お金を使わなくても、マイク一本で何かを表現するということに、強いシンパシーを感じた(それに、ラップであれば、サンプラーで作ったサウンドにあわせて歌い、メッセージを届けることができる)。その話をしながら、ビニール袋に息を吹き込んで紙風船を作り、ポンポンさせながらラップを実演する(オートバイの椅子が開くことに対する驚きを皆さんにお伝えするラップ、言葉尻で無限に接続していくフリースタイルラップなど)。
こうやって、紙風船をポンポンする、また、先ほどのような意味のわからないアブストラクトなリリックでラップすること、その奥には、初めて音楽を聴いたときからずっと自分の基盤となっている「メッセージ」がこめられている。直接的にそれを伝えることはなくとも、ポジティブソングと同じようなメッセージ性が、自分の抽象的な表現にはこめられている。それをどうか感じ取ってほしい。直接メッセージを伝えること/伝えられることが苦手な人もいるだろう、そういう人には、こういう方法のほうがいいのではないか、と思った。そして、なるべく面白い、ユーモアのある方法を選択している。
などなど。

第二部
用意してきたコンポジション用の楽器を家に忘れてきてしまい、それが入っていたはずのスーパー(東急)の袋を、「スーパー」「東急」という言葉を何度も発話しながら探す川染。「この段階で50パーセント減、羽をむしりとられた状態、いうなれば、サックスを忘れたチャーリー・パーカー、ペットを忘れたマイルス・デイビスで参るっス。」「蛙の音にあわせて、蛙の折り紙をピョコピョコさせる予定だった。象、蝉、馬などの折り紙も徹夜で折ってきたが、全部家に忘れてきてしまった。。」蛙の音を流しながらカエル飛びをするなど、未練のある演奏をしながら、「曲を思いついた瞬間、『これはきた!』と思うようなコンポジションだっただけに、ショックがでかく、テンパっている。だが、長い音楽人生、こういった逆境は四割くらいの確立で襲ってくるし、真の芸術はこういうところから始まる、生まれてくる!転ばないことと同じか、それ以上の「コケ」というのがあることを証明する。しかし、残されたコンポジションはどれもこれも小さいものばかりだ。」
「顕微鏡をのぞいてみろ、天体望遠鏡からのぞく宇宙ももちろん壮大だが、顕微鏡の中にもまた、小さすぎるもののみがもっている宇宙が広がっている!そう、俺の芸術もこの顕微鏡からのぞく宇宙のように、小さすぎるものの中に存在する宇宙を表現している。これこそが、俺の考える芸術の新概念、、マイクロスコープアートなのだーッ!」
「予想以上にテンパっている。だが、テンパッているときは、この讃岐うどんのぬいぐるみを見て学ぶところがあるだろう。このぬいぐるみは哲学者だ。このぬいぐるみは、俺が三十歳のときに香川の実家に帰省した際に(香川に帰るには、バスを飛ばして十二時間、往復で二万円、一週間の滞在費もかかるので、なかなか帰れない、一回帰省するために、どのくらい働けばいいのか!)、パーキングエリアで母親が買ってくれたぬいぐるみだ。買ってもらった当時は「うわー、いらねー!」と思い、そのまま、押入れの中に二年間放置していた。ある日、このぬいぐるみを発見したときに、彼の哲学を知った。カビとほこりまみれになりながらもこの笑顔を絶やさないでいる。そのぬいぐるみの姿に、生きるために重要な哲学を学んだ。それ以来、このぬいぐるみの哲学を尊敬し、大いに学んでいる。この哲学者の精神を、皆さんもライブ中に感じ取ってほしい。目を合わせるなどしてほしい」
サンプラーからビート。スーパーボールを床で弾ませてキャッチしながらのボイスパフォーマンス『「何言ってるんですか赤木さん」「白木なんだけど」「すいません、色盲で。。。」』を主題にした変奏。「赤木」「青木」「黒木」など、様々な色の「○木」に話しかけるが、そのたびに違う色の「○木」であると、名前を訂正され続ける。
ろうそくを入れるアルミの容器(「良い音がするんですよ、めっちゃ小さいけど、、これは当初、一分くらいの演奏だった」)を落下させる演奏。
(楽器を忘れた)マイルスコール、トルシエコール、稲本コールなど。
電動マッサージ機を使ったサンプラー演奏(二台使用)。「カエルの折り紙さえ忘れてなかったら、この演奏をすることはなかった」
ムースを手に噴出し、それを頭になでつけ「男のムースで、ツヤツヤハードできめる」と発話する演奏。「サンプリングもできる、ツヤツヤハード(ムースの噴射音をマイクで拾い、サンプリング)」「オブジェとしてもツヤツヤハード(テープのケースの上にムースを噴出)」「ツヤツヤハードでサンプラーも押せる(ムースでハードに固めた頭髪でサンプラーを押そうとするも、さすがにその髪の毛の硬さでは音が出ず)」「資生堂、for you!(といって、客を指差す)」
「俺が小学六年生のとき、隣の家の子供が、小学一年生になって、入学式を迎えることになった。その家のお母さんは、生まれてから一度も化粧をしたことがなかったという。それで、うちのおかんがそのお母さんにメイクをしてあげることになった。うちのおかんはめっちゃ化粧がこいタイプだから。それで、メイクをしてもらって、入学式当日!うちのおかんのメイクで会場に入ったそのお母さん。小学一年生の子供、『お母さん着てない、お母さんどこ』、メイクしたお母さんのことを、お母さんとして認識できなかった!」というエピソード。二回繰り返すことになったが、二回はキツいということで冒頭で中断される。
サンプラーで何でもできる→電池を入れるバネで演奏、サンプラーの裏側に記載された説明書きを歌詞カードとして使い、テープから流れるバンドサウンドにあわせて歌う(リバーブのかかったマイク)。1994、1993、サンキュートウキョウ、アリガト、スシなどの繰り返しで、海外アーティストの形態模写であることを表現。サビは「This device is development」という一文を何度も繰り返し歌い、感情たっぷりに歌い上げ、ライブ終了。

5月11日 高円寺円盤
サンプラーからビート。ワケのわからない表現を目の前にしたときの受け入れ方と、ユーモア表現を重視していることに関する前説ラップ
短波ラジオ体操。短波ラジオを持った川染が、短波ラジオから出るホワイトノイズの音にあわせて、ホワイトノイズの波形を形態模写したダンスを披露する。見た目以上に体力を消耗する体操のようで、息を切らせて何度も中断しながらパフォーマンスが行われる。「自分ももう30超えてるから体力的にかなりキツいものがある」とこぼす川染。
テープレコーダーの仕組みを学習番組のスタイルで説明する演奏を展開しようとするも、カメラの接続が外れてスクリーンに投影されないなどのトラブルが立て続けに起こり、どんどん演奏が困難になっていく。「さー、ケイタくん、見てごらん、これがテープレコーダーだ」「わあ!博士、すごいね!これがテープレコーダーっていう機械なんだね!」「テープレコーダーというのは、磁気テープなどのテープ状の記録媒体に、信号を記録、再生する装置なんだよケイタくん。普通は、磁気テープに電気信号を記録するんだ。メディアを帯磁させることで音声信号を記録する磁気録音方式自体は、1888年にアメリカ人オバリン・スミスが最初に着想しているんだけど、システムとして実用化された最初は、デンマークの発明家ヴォルデマール・ポールセンが1898年に完成させたんだ」「へえすごいや博士!」「(カメラをヘッダに接近させながら)そして、これがテープレコーダーのヘッダだよ、ケイタくん」「すごいや!」と、ウィキペディアからそのまま引っ張ってきたテキストを朗読しながらケイタくんという助手にテープレコーダーの知識を教えていく、という演奏だったが、このくらいの段階で演奏が中断されてしまった。
サンプラーを髭剃りとして使い、髭剃りの動きを利用して演奏をする。
カメラで撮影しながら、サンプラーを演奏を演奏する。カメラでボタンを押すため、長方形の赤い光を放つボタンが近づいたり遠ざかったり点滅したりと、アブストラクトシネマのような効果が起こる(サンプラーの演奏も同時に行われるので、音も同期する)。また、つまみをカメラのふちでスクラッチするなどの演奏も展開される。指先の視点からものを見ながら音を聴くというパフォーマンス。びゅんびゅんゴマの要領で回転するCDの盤面を撮影するという演奏も展開。こちらも、盤面に反射した光が明滅を繰り返し、サンプラーのときはまた違った、フリッカー効果を利用した映像になる。リアルタイムで生成していく実験映画のパフォーマンス。
「かなりテンパっている」といいながら、矢継ぎ早にフリースタイルラップを繰り出す演奏に移行し、そのままライブが終了する(ラップ内容完全に失念。。)。

5月14日 新宿ゴールデン街劇場
ワケのわからない表現を目の前にしたときの受け入れ方と、ユーモア表現を重視していることに関する前説ラップからライブ開始。さらに、駄目押しのようにして、テープレコーダーから自己紹介(半生を語りながら自身の表現に関する詳細な解説や、ルーツなどが語られる音源)を流しながらライブをする。「いろんな演奏をしながらなので、もしかしたら聞き取りにくいところなんかがあるかもしれないけども、それはそれでサウンドのみを楽しむなどしてくれてもいい」
カメラの前で、ピックアップを装着した糸による演奏、バネの演奏(音の波形がそのまま映像として移りこむような演奏)、前回も行ったカメラによるサンプラー演奏などをし、それをスクリーンに投影する。
体育館でバスケする音のカバー。床にピックアップを装着し、バウンドするボールの音にリバーブ処理、煎餅缶の蓋に水をたらし、それにスニーカーを履いた足をこすりつけ、バッシュがキュッキュッと床を鳴らす音を再現。それをしながら、バスケのおもちゃで試合をする(そのおもちゃの鳴らすガチャガチャした具体音だけが、『バスケのカバー』から外れているが、その装置が入ることで、体育館とバスケコートが視覚的にも再現されることになる。このバスケのカバーは以前も行われていたが、この装置が加えられたところが前回と違っている。また、このバスケのおもちゃは、以前、別のライブのときに別のコンセプトを持つ作品の中で使用された楽器である)。ボールがゴールを決めるまで演奏が続けられ、ゴールが決まった瞬間、トルシエコールからの稲本コール。
「この楽器はなんでしょかクイズ」、今回はウッドベースとエレキギターが正解。
図形をかく定規で、段ボールに円を山なりに描いていく川染。その円でできた山の絵を片手に「山!」と叫ぶ川染。その図形でできた山の頂点に、旗の絵をかき、「頂上に旗を突き刺しにいこうぜ!」といって、山の上で行われるパフォーマンス、「山彦」の演奏。エコーのかかったマイクで「ヤッホー!」と叫ぶ川染。コール&レスポンスをしてもらうときに毎回行う「うちもわかるんねやんか、、ライブとかいってな、コール&レスポンスとかあるねんけどな、ウチ、恥ずかしくてよういわれへんねん、、でもな、ウチに帰ってからめっちゃ後悔すんねん。。」というクネクネした関西女の形態模写を挟み、四回のヤッホー&いくぞー!のコール&レスポンスにてライブ終了

5月22日 浅草橋天才算数塾
イベント中、二回パフォーマンスを行った(それぞれ一時間)。あまり大きな音(というより声?)が出せない会場、という制約がついた状態でのライブ。
一回目
サンプラーから、一音が数秒に一度流れる静かなビート。会場の映像を撮影し、それをプロジェクターに投影したものを、さらに撮影したもの(画面の奥に、無限に会場がある)がプロジェクターに投影される。ディレイのかかったマイクを使い、ウィスパーボイスによるボイスパフォーマンス。1〜12まで間をおいて数える、「ウェハース」という言葉を何度も、いろんなポーズで発話する(ハードコアバンドの形態模写をしながらも、声はウィスパーというやり方、など)、「セロリとパセリ」という言葉を何度も反復するなど。
カメラを撮影モードに変え、千鳥格子の模様の傘の上に置き、プロジェクターに投影される映像を変える。千鳥格子のパターン配列の映像をバックに、影を利用したパフォーマンスを展開する。画面に向かって歩いていき小さくなっていくチャップリンのカバー。ペンを持った手だけを影絵に写し、何度もフレームの外から手を突き出しながら「フェンシングに混ぜてくれ」と発話する。そのとき、ペンを持っている指の形を少しずつ変化させる。「フェンシングにさえ混ぜてくれたら、私はどこまでもいける、フェンシングにさえ混ぜてくれれば私はどこまでもいける、フェンシングに混ぜてくれ」と呟き続けた末に「第一幕」、続けて「第二幕」といって、「塩辛いトマトスープさえあれば私はどこまでもいける、塩辛いトマトスープさえあれば、塩辛いトマトスープ、しょっぱくて辛い、トマトスープさえあれば、私はどこへだっていける」と呟き続け、「第二幕」が終わる。「第三幕」は、「北からはグリフォン、南からはペガサス、言葉さえあれば、どこへでもつれてってあげる」といってはじまり、シールドを耳に引っ掛けながら「イヤリング」といったり、王様の前に膝を突いて進言する場面や、「一緒に踊りましょうばあや」といって社交の場面を演じたりする。
シールドを窓にひっかけ、間にエフェクターをとおしてシールドを延長し、それを縄跳びのように動かしながら、画面にゆれるシールドの影を作り出す。シールドをグチャグチャに絡ませたオブジェを影絵にしながら「静寂」、「期待」、「発光ダイオード」といったタイトルを次々に与えていく演奏。
鼻をかむ音を利用した演奏。手鼻をかむ音を何度も繰り返し演奏する。そこから発展して、プロジェクターで鼻をこする演奏に展開。鼻をかむ動きにあわせて、投影される映像が縦横無尽に会場内を移動する。自分のシャツに映像を投影し、その小さな画面の前で演奏する、なども。
五本のジャックをテーブルの上にたて、それらを登場人物にした寸劇を展開。「サッカーに混ぜてくれよ!」といいながら、五本のジャックを近づけたり遠ざけたりして、最終的にみんなでサッカーをする、というような内容。身体と、音と、意味の希薄な言葉によるパフォーマンスが中心のライブとなった。

二回目
ドアが開閉してきしむ音をその場でサンプリングして、それをビートにしてラップ開始。「クエスチョンだらけのパフォーマンスになるだろう」という予告と、「そのクエスチョンだらけの表現をどう鑑賞するか?」という説明の前説、「ユーモアの要素をライブに導入していることについて」の前説。
電動マッサージ機にピックアップを装着し、たたみに押し付けた状態で出る音をアンプリファイする。その状態で、「小学四年生にして一輪車に乗っていた友達の弟」のエピソードをお伝えするラップ。「そのとき、俺は小六だったんだけど、そいつは、小四にして、小四っていうと、9歳とか10歳だと思うんだけど、そんな若さで!もう一輪車に乗ってたわけよ!やばいよね!」
「そう、俺も音楽活動14年目にして、ここまでたどり着いちゃってるよね。今日はこのエピソードをお届けするために、ライブをやっているというところが、二割くらいは、ある!残りの八割くらいは色々あるけど、それでも二割はそうだ。この僕の、前衛的なヒップホップに、もしかしたらかなり面食らっているかもしれない、でも、このヒップホップは、フリージャズなどを経由して導きだしてきたサウンドなんだ。たとえば、このビート!いま、そこのドアのサウンドをとったものをビートにして、それにフロウを感じて、そして、そのビートにのせて、友達の弟が小四にして一輪車に乗れてたというヤバいエピソードをリリックとして、お届けしているわけなんだけども、そう、フリージャズ、俺は一時期フリージャズに傾倒していた。当時は、図書館はしごしながらフリージャズ視聴して借りまくってた、新宿図書館!渋谷図書館!世田谷図書館!杉並図書館!金がないもんだから、自転車でハシゴして、それぞれの場所で三枚のフリージャズを借りる!新宿図書館!渋谷図書館!世田谷図書館!杉並図書館!エゲつないフリージャズ!新宿図書館!渋谷図書館!世田谷図書館!杉並図書館!ハシゴして借りまくってた、そしたら、図書館のおっさんから『渋いの借りてるよねー』といわれたわけよ。音楽を通じてコミュニケーション成・立!嬉しい!」
「そう、みなさんが会社帰りなんかに、レコード店なんかに行って、試聴するときのことを想像してほしい。ヘッドフォンつけて、この、ドアのビート流れてきて、友達の弟が小四のときに一輪車に乗れてた話がラップされてる音が流れてきたら『何じゃこりゃ!』ですよね。でも、こんな音楽流れてきたときに、テンションあげていこうよ。たとえば、今、外めっちゃ雨降ってて、ヤバいサウンドでちゃってるんだけど、実は、今日はサンプラーに雨の日に録音したサンプル音が入ってて、それを使ってパフォーマンスするつもりだったのに、これよ。どういうことよ。それも試聴機から流れてきてると。テンションあげていきたいよね、、『これ、新しいっすね!』と…」
「知り合いのレコード店の店長から聞いたすごく好きな話がある。その店は委託を請け負ったりしている店なんだけど、ある日、その店に、リーゼントをバッキバキに固めて、手にジッポを持った男がやってきて、『すいません、委託させてほしいんですけど』といってきた。店長はその見た目を見て『これはうちの店とかなり毛色が違うだろー』と思って、委託を一度断った。まあでも、一枚だけもらったので、どんな音楽をやっているのか聴いてみようと、音源を再生してみた。そしたら、普通のロックだったんだけど、そのCDの冒頭のところで、こう、ジッポをあけるおとに深いディレイが入っていたらしいんだよね。店長、それを聴いて『うわ、ダブじゃん、音響派じゃん!』と思って、そのジッポのところ以外はバリバリのロックだったんだけど、即座に電話して『委託いいっすよ』と連絡をいれたらしいんだよね。で、次の日、そのジッポの男がやってきて『めっちゃ嬉しいっすよー』と、で、『店長はどんな音楽好きなんですか?』という話になったと。そこはクラブミュージックとかが充実してる店だったから、テクノを聴かせてみたら、そのジッポの男が『なんなんスかこの音楽!めっちゃ新しいっすね!』とテクノに新しさを感じたと。ジッポの男は、バリバリのロック系で、テクノ聴いたことなかったらしい。『こんな音楽聴いたことないっすよ!』『新しいッスね!』と大盛り上がりして、で、最後にジッポ男が放ったリリック。これが最高なんだよね、、『いろんな音楽あるけど、俺たち、音楽を愛する気持ちは一緒ッスね!』…これよ。この精神。今日のライブにも、音楽や芸術を愛する人が集まってくれてると思う。音楽を愛する気持ちは一緒だろー!だから、この、おれのクエスチョンな音楽でも、ジッポの音で委託した店長や、ジッポ男の精神で受け入れていこうぜ!」
「この前、電車の中でこんな人を見た。ピアノの鍵盤がプリントされたトートバックを持ってて、その人は譜面を読んでいる、、よくよく見ると、ピックのネックレスをつけている、そして、ピアノの柄のマフラーを巻いている、、このダサすぎる全身コーデ!でも、この人はメチャクチャ音楽を愛しているでしょ!同じ音楽を愛する人間として、この、ダサすぎる全身コーデの音楽愛好家に話しかけて、友達になろうかとさえ思ったよね!」
フランジャーを探すが見つからない。そのときに発生する身体の動き、物音も演奏である、ということをしっかりと説明もする演奏。ガサゴソとビニール袋をあさる音にディレイをかける。フランジャーは最後まで見つからず。
サントリーウィスキーのCMソングが流れるおもちゃにピックアップを装着して演奏。「へのへのもへじはかわいいね!」という言葉を四回コール&レスポンスしてライブ終了(という流れだったのだけど、大きな声を出していい会場ではなかったこともあって、参加したらいいのかどうかわからない「躊躇する」空気がいつも以上に満ちて終わった)



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